昨年のクラス会以来I君と会う機会が増えた。会ってもこれといって何をするわけでもなく、他愛のない話をするだけだが、お互いに居心地がいいというのが理由のようだ。I君は憲法学者、現在は明日の法曹界を目指す若者の育成に励んでいる。彼は憲法学者らしく論理的で性格も温厚、正義感のかたまりだ。僕はそんな彼を敬愛の念を込めてモラリストと呼び、彼は幼稚で場をわきまえないそんな僕を称してナチュラリスト呼ぶ。 明朗快活、タフで元気なI君だが最近少し疲れ気味の様子。普段、愚痴ることのないI君が、ある改憲論者とのディベートでその無知と無教養さに憤慨したことを話してくれた。(内容は多岐に渡るのでこの場には記しません)I君の言うことは全てが最もだった。彼らしい揺るぎのない日本の未来の平和と我々の幸せを願う姿勢は崇高で尊いものだ。 彼が一通り話し終えた後、今度は僕がI君に続けた。
僕も戦争は嫌いだ。平和のモラルをもっと突き詰めて考えなければいけないと思う。
その中で最近どうしても気になることがある。
北朝鮮拉致被害者の横田さん御夫妻、あくまでもTVからの印象だけれど、とても温厚な理性的な方に見える。話し方一つにしても実直さが現れ、あの人たちが悪人と思う人などこの世に存在しないと思う。 少なくとも僕はあの御夫妻が平和を愛する善良な一市民の代表のように思えてならない。
彼らはもちろん平和主義者で戦争なんて嫌いなはずだ。
そんな彼らが今一生懸命経済制裁を訴えている。
一部の識者は北朝鮮の軍事行動も含めて日朝間の悪化を危惧している。
そんなことをしたところで北朝鮮が拉致被害者を返すわけでもないし
一国だけの制裁では効果があがらない・・という理由からだ。
経済制裁を強く主張する横田さん御夫妻から僕は強いメッセージを感じる。
横田さんだって経済制裁で娘が帰ってくるなんて思っていない。
ここからは横田さんが絶対に言えないことだと思うからあえて僕が語ってみる。
経済制裁によって北朝鮮が武力を用いようと、既に横田さんの腹は決まっている。日米安保によるアメリカの後押しがあろうがなかろうが、自分たち(日本)も武力をもって北朝鮮と戦おう(べきだ)と。 もちろん今の憲法下ではそんなことは出来やしない。
出来やしないからこそ横田さん御夫妻は政府に毅然とした態度で北朝鮮に向かって欲しいのだ。
横田さん御夫妻の切なる望みは日本政府が国民の平和と安全のために毅然とした態度をとり、またその主権が踏みにじられた場合にはあらゆる手段を講じて主権の回復をして欲しい。もちろん武力を用いてさえも・・。これはかなり深刻な問題だ。自国民を救うために武力行使を辞さない・・。たった?数十人を救うために戦争だなんてもちろん愚かしいことかもしれない。でも翻って私たちの子供がある日突然さらわれたとしたら・・。少なくとも我々は国家との信頼関係で成り立っている。日本というカテゴリーの中で働き税金を納め、発言と財産そして身の安全を保障されてきた。年金問題を初めとして、国家を信用できない、あてにできないなどと言うのは簡単だ。でもそんなことを言う輩に限って国家を信用せずともあてにしている。年金だって身の安全だって・・。 確かに今僕は憶測でものを言っている。横田さん御夫妻がたとえ武力行使を用いてでも拉致被害者を救うべきだという考えをお持ちだと。しかし鈍感な僕ですら感じるのだから頭のいいI君が感じないわけがない。国民の多くだって感じていると思う。でも横田さんがこんなことを言ったら(実際には言っていません)感情的な発言として受け止められる。でもそれは違う。横田さんは30年という時間の中で娘の拉致問題を自分なりに考えてきた人だ。だからこそ個人的な問題という感情的な部分があるにせよ非常に冷静でいられる。そのことを僕たちはしっかりと理解しなければならない。ある意味で我々以上に人権、国家主権、平和そして憲法について考えてきたのではないか、いや考えざるを得なかったのだと思う。そんな彼らが今のような考えに辿り着いた軌跡を理解した上で改めて憲法を議論するべきではないか・・。 I君は真剣な顔で僕を見つめていた。そして緊張の顔から笑みがこぼれて、やっぱり君はナチュラリストだと呟いた。紅潮したI君の笑顔にはもはや憲法学者としてではなく、中学時代にグランドで一緒に汗を流したあの清々しさが漂っていた。
後日、I君の言葉は何よりも素晴らしかった。
〜I君のメールから〜
憲法とは国家、国民が存在する上での規範であり、我々の進むべき方向を示唆するものでなければならない。我々憲法学者は憲法を論じる時、我々の中だけで論じようとするきらいがある。しかし、憲法とは他の法律と違って原理原則の枠組みで捉えるべきではなく、老若男女を問わず万民の些細な感情さえも斟酌するものでなければならない・・・
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